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富山地方裁判所高岡支部 平成8年(ワ)8号 判決 1998年7月14日

主文

一  被告は、原告に対し、金一七〇万六〇〇〇円及びこれに対する平成七年八月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  その余の原告の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金七〇〇万円及びこれに対する平成七年八月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  原告は、昭和三二年九月一八日に中国で出生し、昭和六三年に上海交通大学夜学校を卒業し、同五九年から上海交通大学計算機部に属していた。

富山県国際研修振興協同組合は、組合員のためにする外国人研修生共同受入事業などの事業を目的とする協同組合(以下「組合」という。)であり、被告は、右組合に加盟している。

2  平成四年一二月三一日、組合と上海交通大学との間で、相互に技術研修交流を行い、機械、金属等の分野の技術、技能知識を修得し、中国の技術進展に寄与するために中国研修生を受け入れること等を目的とする協定が締結された。そして、組合は、右協定に基づき、上海交通大学が派遣する研修生に対して二か月間の研修として基礎的教育、日本語教育、安全教育をした上で、それぞれの専門に応じた実務研修を受けさせるため、研修生を組合員である各企業に斡旋することとなった。

3  原告は、平成五年七月二六日に来日して二か月間右研修を受け、同年九月二六日から同六年七月二六日までの間は実務研修生として、同六年七月二七日から同年一一月一七日までは技能実習生として、富山県砺波市東中九七番地所在の作業所(以下「本件作業所」という。)において、濃硝酸を使う業務(以下「本件作業」という。)に従事した。また、技能実習生になった後は、技能実習の対価として月額一〇万円を受け取る旨の雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)が締結された(なお、右雇用契約の相手方については、後述する)。

原告は被告から、平成六年一一月一七日に解雇通知を渡された。

二  当事者の主張

1  被告適格について

(被告の主張)

本件訴訟の当事者は、富山ステンレス工業株式会社(以下「富山ステンレス」という。)である。すなわち、原告の技能実習雇傭契約書及び外国人登録証明書の勤務先の記載はいずれも富山ステンレスであり、原告の勤務内容がステンレス加工作業の一部門の労働であったことから、原告と雇用契約を締結したのは富山ステンレスである。

(原告の反論)

原告が本件雇用契約を締結したのは、被告である。すなわち、原告に対する給料の支払い、雇傭契約上の処分、解雇通知を行っているのはいずれも被告である以上、右契約は被告との間で締結されたものというべきである。また、仮に右契約が被告との間で締結されたものではないとしても、富山ステンレスと被告とは、同一内容の業務を行い、事務所も同一場所であること等から、被告の責任を否定するのは信義則に反する。

2  被告の安全配慮義務違反について

(原告の主張)

(一) 本件作業は、高濃度の硝酸を継続的に扱うものであり、それ自体人の生命身体に深刻な障害を与える可能性が極めて高いものであるから、被告は原告に対し、原告の安全に配慮する義務があった。にもかかわらず、被告は右義務を怠り、しかも、硝酸の暴露を防止するための設備対策を怠り、保護具も支給しなかった。

(二) その結果、原告は、来日前の健康診断では肺機能は正常であったところ、平成九年三月三日現在、細気管支障害を原因とする閉塞性換気障害が存し、肺機能が低下した。また、視力も来日前は右1.5、左1.5であったところ、平成九年三月三日現在、右0.4、左0.5に低下し、眼鏡による矯正をしなくては日常生活が困難となった。

(被告の反論)

(一) 被告は、原告に対する安全教育義務を十分尽くしていた。すなわち、本件作業は単純であるから、その内容について、経験のある同僚の中国人研修生から一日説明と指示を受けた上、日本人作業員から二日間本件作業について身振り手振りで指示と説明を受けることで右教育としては十分である。滋野も自ら原告に対し、作業手順のみならず、防毒マスク、顔面保護面、ゴム手袋、ゴム前掛けの使用を原告の体に装着して教育しており、これは予防のための安全教育に他ならない。また、設備対策も行い、保護具も、支給してある。

(二) 原告が来日前の健康診断で正常であったとしても、その精密度には疑問があり、仮に原告が異常があることを認めれば来日できなかったのであるから、自覚症状があったとしても告げなかった可能性もあり、原告の右症状が来日以降であるとするのは即断である。

また、視力が悪化したのは、平成六年六月一三日ころに、同僚に右眉部分付近を殴打されたのが原因である。このため、三月二二日に眼精疲労を訴え、その際に測った視力では、左1.0、右が0.7となっている。

3  損害

(原告の主張)

(一) 後遺障害に関する損害

(1) 原告は、前記肺機能の低下により、軽作業のみ可能で、重労働、階段昇降等は不可能な程度の障害を負った。これは、自賠法施行令第二条後遺障害別等級七級五号の「胸腹部臓器の機能に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する。また、前記視力の低下も、後遺症に対する慰謝料請求に積極的に評価すべきである。

(2) 逸失利益

右後遺症による原告の労働能力喪失は五六パーセントが相当と認められる(なお、原告は右等級における労働能力喪失割合について明らかには主張していないが、右のとおりの主張があるものと考える)。また、原告は症状固定時三七歳で、六七歳まで三〇年間就労可能であり、その年収は、賃金センサス平成七年第一表全産業男子労働者学歴三五歳ないし三九歳の年収である五八〇万六七〇〇円とするのが相当である。したがって、中間利息をライプニッツ方式により控除して計算すれば、次のとおりとなる。

580万6700円×0.56×15.3724=4998万67232円(円未満切捨て)

(3) 慰藉料

右各後遺症慰藉料は二二四万円とするのが相当である。

(二) 傷害に関する損害

原告は、平成五年九月二六日から同六年一一月一七日の長期間にわたり、喉、目、指先、歯の痛みや呼吸困難等に苦しめられ、同六年二月から同七年六月一五日までの一七か月間、各病院に合計一三回通院した。したがって、右苦痛を慰謝するには一〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用

日本弁護士連合会報酬等基準規定一八条によれば、一一二万円が相当である。

(四) そして、右損害合計の内金七〇〇万円の支払を求める。

(被告の反論)

(一) 傷害について

仮に右慰藉料が認められるとしても、原告は日本国籍を有さず、二年間の在留期間しか許可されておらず、その後三か月延長したにすぎないので、その算定に当たり、本国である中国の貨幣価値や日本との所得水準の格差が考慮されるべきである。

(二) 後遺症

仮に後遺症に関する損害が認められるとしても、前記のとおり、原告の本国における収入を基準とすべきであるところ、原告の収入は、来日前は一か月一〇〇〇元であり、一元は一五円であるから、原告の中国における年収は日本円にして平均一八万円前後であったというべきである。また、就労可能年数についても、日本人の平均余命は世界で最も長い以上、中国人には同様には妥当しない。慰藉料についても、中国における貨幣価値や所得水準の格差に対する配慮が必要である。

第三  当裁判所の判断

一  被告適格について

給付の訴にはその訴を提起する者が給付義務者であると主張している者に被告適格があり、その者が該当給付義務を負担するかどうかは本案請求の当否にかかわる事柄であると解すべきであるところ(最高裁昭和六一年七月一〇日第一小法廷判決参照)、原告は被告が給付義務者であると主張しているのであるから、被告には被告適格が認められ、右訴は適法なものというべきである。

二  甲四ないし一〇、一四、一六及び一七、乙一、七ないし一七、二〇ないし三一、検証調書、鑑定書、証人寺島菊太郎、山本樹、平野敏夫、原告本人、被告代表者、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  被告及び富山ステンレスについて

被告は昭和五四年一〇月に、富山ステンレスは同六一年一二月にそれぞれ設立され、いずれも、代表者は滋野正(以下「滋野」という。)、その目的は、産業機械の製造ないし鋳造、販売、鋼構造物設置ないし工事業、普通鋼、特殊鋼、ステンレス鋼の製品、加工品及び鉄鋼原料の輸出入、土木建築工事の請負施工等で、その目的もほぼ同じであり、当初、被告所在地は富山県砺波市東中九五番地、富山ステンレス所在地は富山県高岡市長慶寺七二番地であったが、いずれも平成六年四月八日に富山県砺波市東中七五番地に移転した。右二社は同じ事務所で同じ事務員により営業され、右二社の経理の担当者は同じ事務員であり、給与台帳を間違える等の混乱が生じることもあった。

2  本件作業所における作業について

富山ステンレスは、平成元年ころから、長慶寺工場において、配管のエルボー部分であるバルブと融雪装置のノズルの部品について、ステンレスのスクラップを高周波電気炉で溶かして炉型に入れて製品を作り、不必要な部分を切り離し、まだ凹凸部分のある部品を本件作業所に持ち込み、後述する酸処理作業等で処理して完成させることになった。

その工程は、まず、右部品を本件作業所(約四二九平方メートル)内の機械で約1.7ミリの鉄玉をぶつけて「ショット」し(約五〇分)表面の凹凸を取り除く。その後、右部品を右作業所内の西側奥にある作業場(以下「本件作業場」という。)に運び、籠に入れて硝酸の入ったタンク(以下「硝酸タンク」という。)に運び、右タンクの蓋を開けて入れ、蓋を閉めて約一二時間漬けておく。そして、蓋を開けて右部品をクレーンで取り出し、水の入ったタンク(以下「水タンク」という。)に入れて水洗いをし、本件作業場内にある作業台に運ぶ。そして、コンプレッサーで蒸気を吹き付け、大きい部品で約一〇分、小さい部品なら約三〇分洗う(以下「湯洗い」という。)。その後「シャー」という乾燥機に入れて乾燥した後、再び約三〇分ショットし、硝酸タンクに約一二時間漬け、水洗いした後湯洗いし、検査済の刻印を押して完成する。右作業は全て一人で行う。本件作業所で処理するステンレスの量は、一か月に約5.5トン(一日当たり二二〇キログラム)で、硝酸タンクに入れる一籠の重さは約六〇キログラムである。そして、右部品の硝酸タンクへの出し入れは、一日六ないし八回で、硝酸タンクから水タンクへ運ぶには一回約二分かかる。

3  本件作業場の作業環境について

本件作業場は、本件作業所とは壁及びドアで仕切られ、約二五平方メートルの広さで、西側壁に沿って硝酸タンク四個と水タンク二個が横一列に並び、窓が一つあり、換気扇が、硝酸タンクの上部に二個(高さ約一二〇センチメートル)、水タンクの上部に一個設置されている。なお、換気扇は、当初一個だったが、平成四年二月に、硝酸タンクを三個から五個に増やしたことに伴い、換気扇も三個に増やし、また、平成七年二月に壊れたため取り替えた。本件作業場の換気は、換気扇、窓及び出入り口ドアを開けることによりなされる。

また、平成八年七月一二日及び同月一九日に本件作業場の硝酸及び二酸化窒素について測定したが(乙二七)、日本産業衛生学会における許容量は、硝酸は二PPM、二酸化窒素は三ないし五PPMであるところ(甲三三)、同月一二日(天候晴れ、気温23.5度、風速三ないし四メートル、本件作業場の出入り口及び窓の一部が開放で、外気が流入していた。)は、本件作業前には、本件作業所、本件作業場の硝酸タンクの前及び換気扇の真下(床面から1.3メートルの高さ)ではいずれも検出されず、同月一九日(天候晴れ、気温27.7度、湿度六〇パーセント、風速三ないし四メートル)は、硝酸タンクの蓋を三分間開け、本件作業場の出入り口及び窓を閉めた状態で、本件作業場の硝酸タンクの前では硝酸0.4PPM、二酸化窒素0.3PPM、換気扇の真下では硝酸は1.0ないし0.9PPM、二酸化窒素は0.4ないし0.3PPM(いずれも1.3メートルの高さ)だった。

4  原告が本件作業に従事するまでの経緯等

滋野は、本件作業を始めるにあたり、長野県所在の越川工業で約三時間の講習を受けて習ってきたが、その際、酸を扱うについての危険性については、肌につくと火傷する、目に入ると危険である、目を防護する眼鏡をせよ、煙が出ないように酸を水で薄めよ、越川工業で使用しているものと同じ防毒マスクをせよと言われた。そして、平成元年四月に、濃度六二パーセントの硝酸を購入し、同月一七日に防毒マスクGM―二四K(左右に各一個ずつ吸収缶が付き、吸収缶の全面にフィルターが付いているもの、以下「防毒マスク」という。)二個及び適応吸収缶CA―一〇四(以下「吸収缶」という。)を二〇個購入した。

まず、滋野が本件作業を約二か月行い、平成元年五月上旬から大島三治(以下「大島」という。)が行った。滋野は大島に対し、越川工業で習ってきた右内容を説明した。そして、六二パーセントの硝酸を約五〇パーセントに水で薄める(この程度が煙が出なくなる目安。)薄め方も教え、以降大島が硝酸を薄めていた。しかし、大島は約三年右作業に従事した後、癌で死亡した。

平成三年七月ころから同五年一〇月ころまでは、寺島菊太郎(以下「寺島」という。)が本件作業を行った。当初寺島は、大島が休んだときに大島の代りに本件作業に従事する程度で、大島から本件作業手順を習ったが、硝酸の危険性については、手に付いたら火傷するということしか教えられなかった。また、大島から「六二パーセントでは苦しくて仕事ができない。硝酸タンクの蓋を開けたときに、硝酸の蒸気が上がらない程度に水を入れて薄めろ。」と言われ、適当に薄めていたが、濃度は知らなかった。硝酸タンク内の硝酸は、寺島が入れたが、取り出す作業は、約二週間後、多田薬品工業株式会社(以下「多田薬品」という。)がバキュームカーで行った。そして、湯洗いの後作業台の下に溜まった排水は、水中ポンプで外の大きい廃液容器に入れるが、廃液容器が一杯になれば、濃度の濃いものは多田薬品が搬出し、薄いものは薬品で中和させて捨てた。

寺島は、作業を始めた当時、本件作業場には換気扇が一つしかなく、作業中に本件作業場が硝酸で充満して咳き込んだので、大島に聞くと、「こんなマスクがある。」と言われ、大島が使用していたものと同じ防毒マスクを渡され、硝酸タンクに部品を出し入れする際、あるいは湯洗いの際には防毒マスクを使用した。また、普段は、眼鏡をかけているので眼に対する保護は何もしなかったが、湯洗いの時は液体が飛び散るので、その上にシールド付きヘルメット(顔面全部を覆えるもの)を被り、前掛け及びゴム長手袋を着用した。防毒マスクは、手袋と一緒に、本件作業所内の箱の中に入れてあった。防毒マスクの吸収缶は酸の匂いが微かにするようになったら交換するように指導され、約三か月に一度の割合で交換した。防毒マスクを使用する作業時間は一日約四時間、週五日だが、右作業期間中、硝酸を吸入したことにより健康を害したことはなかった。また、フィルターマスクは使用していなかった。

寺島の後任として、中国からの技術研修生である、解秀一(以下「解」という。)が本件作業に従事したが、約三か月後、肝機能の障害が発見されたため、配置転換された。

5  原告が本件作業に従事した経過等

(一) 原告は、平成五年七月二六日に来日し、同年七月二八日から同年九月二七日まで、中国からの研修生に対して富山県高岡市の技能研修センター等で行われた、日本語指導、生活指導、安全指導、専門指導等の座学研修を受けたが(なお、日本語指導は、平成六年七月一〇日まで続けられた。)、あまり参加せず、研修生の中でも日本語は下手な方だった。また、同年七月三〇日から同年九月二七日まで、製図、溶接等鋳造の専門指導を受けた。しかし、本件作業に従事するまで硝酸を取り扱うことはなかった。

そして、原告は、同年九月二六日から実務研修として、本件作業に従事し、作業時間は、朝八時から午後五時までだったが、残業することもあった。原告は、本件作業を始める際、最初の一日は解と、その後の二日間は、被告会社の工場長及び常務と共に作業を行い、作業手順を習い、硝酸は危険である旨聞いたが、具体的にどういうことに気をつけるべきか、硝酸が体に如何なる害を及ぼすか等、それ以上の説明はなかった。しかし、硝酸のビンのラベルや硝酸を運搬する車両のプレート等から、有毒であることは知っていた。滋野が原告に対し、日本語で、直接防毒マスク、手袋、前掛け等を原告の体に装着しながら指導し、本件作業を見回った際、原告が防毒マスクをしていなかったことが数回あったため、原告に注意をしながら右マスクを装着した。しかし、滋野は、当時硝酸のような劇物を扱う従業員に対し、安全教育を行う義務のあることは知っていたが、疾病予防の教育義務もあることは知らず、硝酸による疾病の知識もなく、硝酸の吸入は有毒であると考えていたが、眼に対する危険性は知らなかった。原告は、硝酸タンクに部品を入れる際、硝酸がはねて眼に入ると痛いので、自分で水で洗ったりした。

(二) 被告は、平成五年五月から同六年一一月まで、吸収缶二六包(一包四個入り)を購入し(合計一〇四個、一か月間に五個使用したことになる。)、フィルターマスク(鼻の部分に金属が付いており、それによりマスクが鼻にピタリと当たるようになっているもの。)一二〇枚を購入した。その他、平成五年一一月から同六年九月までゴム長手袋、前掛けをいずれも三か月に一回(一回につき三双ずつ)購入していた。右手袋は半年間は使用でき、穴が開いたり、中に水が入った時に交換することになっていた。

なお、原告は、右仕入帳の記載に訂正等が認められるため、右記載は虚偽である旨主張するが、納品書(乙二四ないし二六、三〇)には右吸収缶のものがあり、しかもその番号は連続している以上、右仕入帳の記載が虚偽であると認めることはできない。

また、原告は、本件作業に際し、シールド付きヘルメット、防毒マスク及び吸収缶は支給されておらず、支給されたのは手袋及び前掛けのみだったこと、平成五年一二月ころまでマスクを着用せずに本件作業を行い苦しかったため、中国から約一〇個マスク(風邪用の普通のマスク)を送ってもらったこと、平成六年五月ころに被告からマスク(風邪用の普通の小マスク)を支給してもらった旨供述し、それに沿う証拠も認められるが(甲二五及び二六)、わざわざ中国から送ってもらわなくても右マスクは通常薬局で市販されており、いつでも入手可能であったこと、右吸収缶及びフィルターマスクの使用者は、本件作業に従事する原告のみであったところ、右に認定したように、被告は原告が本件作業を開始する以前に防毒マスク及び吸収缶、フィルターマスクを購入し、原告の作業期間中も多量の吸収缶及びフィルターマスクを購入しており、これは原告の請求に基づくものと考えざるを得ないこと、また原告は、フィルターマスクがある時とない時もあると供述するなど、その供述も曖昧なことから、右供述及び証拠はいずれも信用できない。

また、原告は、換気扇は故障していたと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。

さらに、原告は、硝酸タンク内の硝酸の入れ替えは、二週間に一度茶碗で一杯ずつ取り出して行ったと供述するが、仮に右供述が真実であったとすれば、原告は防毒マスクも着用していないのであるから、大量の硝酸を吸収し、直ちに重篤な硝酸障害の症状が現われると考えられるところ、そのような症状は現れていないのであるから、原告の右供述は信用できない。

(三) 滋野は原告に対し、残業時間の水増し請求等について再三注意したが、水増し請求を繰返した。この点、原告は、残業を減らして欲しい旨話したと供述するが、乙一五ないし一七によれば、むしろ残業時間をごまかして行っていたものと認められ、右供述は信用できない。

そして、後述する傷害事件を起こしたことや、日頃研修生の団体生活の中でも非協力的なこと等から原告を解雇することにし、平成六年一一月一七日に、滋野が原告に対し、解雇の理由を説明して解雇通知を行った。原告は、同日夕方ころから行方不明となり、同年一二月二六日に、未払賃金の支払を求める仮処分申請を行った。

6  原告が解雇された後、本件作業を、原告と同じ中国からの研修生である沈慰瑤(以下「沈」という。)が一年間行い、その後屈が二か月間行った。沈及び屈に対する技術指導はいずれも一日だった。沈は、硝酸タンクへの部品の出し入れの時は防毒マスクを、湯洗いの時にはフィルターマスクを被り、また、いずれの時もマスクの上からシールド付きヘルメットを被り、ゴム製前掛け、長いゴム手袋及び長靴を着用したが、屈は、沈と同様であったが、湯洗いの時は右ヘルメットを被っていなかった。沈の作業時間は、午前八時から午後五時までで、毎日約二時間残業を行ったが、右両名とも、特に健康を害することはなかった。

その後、再び寺島が本件作業を行っている。現在、防毒マスク、前掛け、ヘルメット等は新作業場横の壁に掛けられている。

7  原告の疾病について

(一) 来日前の健康状況

原告は、日本に入国するに際し、平成五年五月八日付けで、中国の上海で健康診断を受けたところ、肺、心臓、腹部、神経系統は正常で、胸部レントゲン検査も異常はなく、視力は右1.0、左1.2だった(乙二九、三一)。

これに対し、原告は、乙二九の健康証明書は偽造されたもので、甲一五が真正に作成されたものである旨主張し、それに沿う証拠も認められるが(甲三八、三九)、乙二九は、組合が上海交通大学から研修生受入れの際、他の研修生のものと一括して交付されたもので、原告の健康証明書と他の研修生のそれとは、医師の署名の筆跡及び紙質が同じであることから、乙二九が偽造されたものと考えにくく、むしろ、甲一五の方に偽造されたものではないかと疑わざるを得ない。

(二) サンバリー福岡病院(以下「福岡病院」という。)での受診

原告は、平成六年二月一九日から同年七月二三日までの合計七回、福岡病院に通院し、いずれも山本樹医師(専門は消化器内科、以下「山本医師」という。)が診察し、問診の際、同病院の中国人の職員あるいは同行した通訳が通訳をした。同年二月一九日の主訴は、酸を扱う仕事をしており、平成五年一二月からのど痛、口渇、眼が渇くということで、ウロビリノーゲンは正常、尿検査は異常なく、同日扁桃炎、結膜炎の診断がなされ、同六年三月五日は、のどの痛みは残っていたが、他は異常なく、同月一〇日は下痢を訴えた。同月二二日には、同月一〇日までに自転車で転倒して右目付近の怪我をしたとのことで(実際は、同月一三日に庄水根と喧嘩のため、右眼の眉の下付近の怪我をして七針縫ったもので、同日から同月一九日まで眼科に通院していた。)、視力を測ったところ、右0.7、左1.0で眼精疲労と診断した。同年四月二三日、酸を扱う仕事をしており、右手首、後ろ頸部が夜かゆいということで湿疹が認められ、同年六月一一日には咳と頭痛を訴え、上気道炎と診断、同年七月二三日には血圧を測定したが正常、歯痛、軟便を訴えた。右上気道炎や扁桃炎等の症状は、硝酸中毒により生じる臨床症状ではあるが、右診察当時、各症状はいずれも軽く、一、二回の治療で治癒し、風邪によっても生じる症状であって、咳が長引くとか呼吸困難の訴はなかったので、レントゲン検査も行わず、硝酸との関係についても特に疑わなかった。なお、山本医師は、硝酸による中毒症状を呈した患者を診察したことはなかった。後日、右病院の院長(専門は産婦人科)は、原告の症状と硝酸との関係について、同年二月一九日及び同年三月五日の硝酸は、硝酸による影響は否定できないが、積極的に確定する根拠はない、同年四月二三日の症状は、因果関係は否定できないが確定は困難、その他の診察については因果関係はないとの見解を示した(乙八)。

なお、原告は、同年五月ころ、職業病であり専門病院に行くことを勧められた旨供述するが、山本医師は、いずれも軽微な症状で治癒していると考え、レントゲン検査も行わず、硝酸との関係については気づいていない以上、右供述はにわかに信用しがたい。

その後、原告は、右病院に通院していない。また、原告の雇用期間中、滋野は原告が福岡病院に通院していることを知らず、また、原告から滋野に対し、体調が悪いため配置転換をして欲しい旨の話はなかった。また原告が本件作業を休んだのは、右喧嘩による通院期間中のみでそれ以外の休暇は認められない。

(三) ひらの亀戸ひまわり診療所(以下「ひまわり診療所」という。)及び社会福祉法人賛育会病院眼科(以下「賛育会病院眼科」という。)での受診

(1) 原告は、平成七年四月一四日から同年六月一二日まで、ひまわり診療所で平野敏夫医師(専門は呼吸器科、特に職業病性の呼吸器疾患、以下「平野」という。)に診察を受け、硝酸中毒と診断された。

同年四月一四日の診断の際、原告は、既往症はないこと、硝酸濃度六二パーセントを扱う仕事をしていたが、防毒マスクや眼鏡はなかった旨話し、主訴は、呼気(呼吸の吐く息)が苦しい、動作時の息切れ、痰が出る、眼がかすむ、めまいということだった。そして、胸部レントゲン検査及び血液検査の結果は異常なかったが、肺機能検査の結果、肺活量(VC)は1.94リットルで、パーセント肺活量(肺活量を予測肺活量で控除したもの)は47.2パーセントしかなかったこと、一秒率55.7パーセント(正常人で約七〇パーセント以上)、強制肺活量(FVC)は、1.47リットル、と著しく低下していた(なお、気管支ファイバーの検査は行っていない。)。しかし、気管支拡張所見までは認められなかった。また、視力検査の結果、右0.4、左0.5だった。右肺活量は、原告が本件作業を離職後約五か月後のことだったので、症状固定と判断し、動作時の息切れ、呼吸困難があり、肉体労働や階段昇降は困難で、一般的労働能力は存在しているが就労可能な職種の範囲が制限されると判断した。そして、第二回目の診察時である同年四月二〇日以降、いずれもテオドール(閉塞性気管支障害等に使用される薬、気管支拡張剤)を投与し、症状は少しずつ改善していった。

(2) 原告が平成七年九月一四日、社会福祉法人賛育会病院眼科で受診したところ、視力は右0.6、左0.5で、特に眼に異常はなかった。

(四) 鑑定人秋山修の診察

平成九年三月三日から約一か月間、鑑定人秋山修が鑑定のため検査を施行した。その結果、酸素飽和度(SPO2)九七パーセント、肺活量(VC)、一秒率は正常だったが、強制肺活量(FVC)は、四回測定したところ、いずれも2.2リットル前後で低値であり、一秒量(FEV1.0)を予測肺活量(VCP)で割った値は0.526と低値だった。胸部レントゲン検査、心陰影に接するように右側に濃厚影が認められ、右下の心陰影の辺縁のシルエットサインは陽性であり、胸部CTの結果、右S5、左S10に気管支拡張像と気管支壁肥厚像を認め、収縮機転を伴う濃厚影、索状影を伴い、右S5には、一部結節状陰影も認められ、気管支拡張所見が認められた。視力は、右0.4、左0.5だったが、眼科的に明らかな異常は認められなかった。

そして、階段昇降の際呼吸困難を感じるが、平地歩行は可能であり、軽作業は可能であると判断され、徐々に症状は軽快していた。

呼吸機能の低下は、閉塞性換気障害を意味し、これは気道系の疾患で見られる変化であるところ、その原因として、右検査等の結果、喘息に見られる可逆性や発作性呼吸困難は見られず、また気管支拡張を説明できないことから、気管支喘息は否定し、胸部CTの結果、肺気腫で見られる低濃度領域は見られないことから、肺気腫は否定し、慢性的咳や痰が出ているわけではないので慢性気管支炎は否定し、胸部CTによれば、広範な気管支の肥厚、粒状影の存在等、慢性瀰慢性汎細気管支炎を窺わせる所見はないことから、瀰慢性汎細気管支炎は否定し、副鼻腔炎もないことから、副鼻腔気管支炎症侯群も否定し、膿性痰が喀出されないことにより、慢性気道感染症を呈する疾患も否定した。そして、閉塞性換気障害の原因は、細気管支を中心とする気道障害によると考えた。その原因として、感染症に伴い細気管支炎が生じる場合には、発熱と咳、呼吸困難がほぼ同時期に急性ないし亜急性の経過で出現するが、この三ないし四年間に右症状は認められない以上、感染症を原因とすることは否定され、また、幼少期の感染症によるならば、ひまわり診療所で行ったレントゲン検査に異常が認められるはずであるが、認められないことから、右原因も否定した。また、慢性間接リュウマチやシェーグレン症侯群などの膠原病も認められないため、膠原病を原因とすることも否定した。そして、細気管支炎から気管支拡張が生じるには、ある程度時間が必要であることから、この三ないし四年間に細気管支炎の一部が進展し、構造上の変化が生じ、気管支拡張などの変化が見られるようになったと考えた。結局、硝酸は二酸化窒素を発生させること、二酸化窒素により細気管支障害が生じる可能性があること、呼吸器障害が二酸化窒素による細気管支炎と考えれば、右症状や気管支拡張等の所見も説明できること、原告は、本件作業に従事してから症状が出現し、従事している間症状が継続し、右作業を離れてから症状は軽快していることから、呼吸器障害は、本件作業に起因する可能性が高いと判断した。

8  硝酸について

甲七、二九、三〇、三三、三四、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 硝酸は、毒物及び劇物取締法により劇物に指定されている(同法二条二項、別表第二、五一)。また、労働安全衛生法施行令別表第三に掲げられる特定化学物質第三類物質であり、その危険性及び有害性、保護具の性能、取扱方法、作業手順、発生するおそれのある疾病の原因及び予防、事故時における応急措置及び退避に関すること、その他必要事項について、安全又は衛生のための教育を行わなければならない(労働安全衛生法五九条、労働安全衛生法規則三五条)。

(二) 硝酸は、それ自体二酸化窒素を含有し、可燃物、有機物と接触すると、二酸化窒素を発生する。また、強い酸化性があり、ほとんどの有機化合物を酸化して二酸化窒素にし、自らは硝気に還元される。常温でも刺激性の強い蒸気を発生し、空気中の水蒸気により白煙となる。硝酸の蒸気には、ほとんどの場合、窒素酸化物が含まれている。ほとんどの金属を腐食する。

そして、吸入した場合、咳、咽頭等の上気道刺激症状をきたし、さらに気管支炎を来たし、濃厚なガスの場合、二四ないし四八時間後に肺水腫を起こすことがある。皮膚に触れると重症のやけどを起こし、眼に入ると粘膜を激しく刺激し、失明することもあり、歯の腐蝕、酸蝕性を起こす危険がある。また、酸、アルカリを気道内に吸引した場合、微量であっても、咽頭、気管、気管支、肺に強い炎症が生じ、咳、呼吸困難、気道内分泌物増加、気道内の出血、肺水腫によるピンクの泡沫状喀痰等の症状が出現し、眼に入った場合は、強い角膜炎、結膜炎を起こし、激しい痛みを訴え、しばしば腐蝕による角膜混濁を起こし、視力障害を残すことも少なくない。

少量を長期間にわたって、皮膚あるいは呼吸器から吸収し続けると、漸次健康が害され、数か月、数年後になって初めて中毒症状が現れる。体内に吸収された場合には慢性中毒をおこす。

(三) 硝酸を扱う場合、接触、吸入を避けるため、必ず保護具を着用し、風下での作業は避けねばならない。

保護具としては、耐酸用ゴム手袋、保護長靴、耐酸用前掛け、ゴーグル型保護眼鏡(気密性のあるもの)、酸性ガス用防毒マスクを着用し、設備対策としては、密閉化、又は局所排気装置を設置する。

三  まず、被告が右損害賠償義務を負担すべきか否か検討する。

1  本来雇用契約は雇用契約書に署名押印することにより双方とも締結されたことを確認するところ、甲一一及び一二、乙二ないし六、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、技能実習雇用契約書に記載された署名は原告の自署ではないものの、その印影は、原告の印章により顕出されたものと認められること、沈も右契約書に押印していること、上海交通大学に対する帰国通知書も富山ステンレスから解雇された旨記載されていることから、本件雇用契約は、原告と富山ステンレスとの間で締結されたものと認めるのが相当である。

2  しかし、前記認定に加え、甲一ないし三、乙一七、弁論の全趣旨によれば、原告に対する給料の支払い、訓告、解雇通知書は、いずれも被告名義で行われていること、原告は、右雇用期間を通して本件作業所で作業に従事し、富山ステンレス所有の工場においては作業に従事しておらず、原告が本件作業所における作業の際使用した前掛け等保護用具は、全て被告名で納品されていたこと、被告は右作業所は富山ステンレスに対し、賃貸している工場であると主張するものの、右賃貸契約書は提出されていないことが認められ、これらを総合考慮すれば、雇用契約において最も重要な給料の支払の他、訓告、解雇通知書も被告名によりなされ、従事した作業所、使用した保護具等は被告所有のものであり、両者の事務手続きの混乱も生じていたことから、実質的には被告に雇用されていたものと認められる。

したがって、本件損害賠償義務を負担すべき当事者は被告であると認めるのが相当である。

四  原告の疾病と本件作業との因果関係

1  前記認定を総合判断すれば、

(一) 作業環境及び保護具の設置について

原告が本件作業に従事した当時、換気扇も設置され、前記認定のとおり保護具を準備して原告の請求どおり納入しており、本来ゴーグル型保護眼鏡や局所排気設備も準備すべきであろうが、本件作業では硝酸が飛び散ることを考えると、シールド付きヘルメットであっても顔面を全部覆えるものであるから、保護具として足りると考えられること、換気扇も三つ備わっているのであるから、最低限の設備は整えていたものと認められる。

(二) そして、本件作業は単純作業であり、沈及び屈に対する指導が一日であるのに対し、原告は解及び工場長等に合計三日間、作業を共に行って作業を習っていることから、日本語の理解が十分でないとしても、作業手順、防毒マスクや吸収缶の取り付け方は理解し、解が防毒マスクを着用しているのを見たり、硝酸のラベル等から硝酸が有毒であることを認識していたものと考えられる。しかし、滋野が見廻った際、被告が防毒マスクを着用しておらず、自ら着用してあげたと供述していることや、原告が飛び散った硝酸が眼に入って水で洗ったと供述していることからすると、硝酸の具体的危険性や疾病について知らなかったこともあり、シールド付きヘルメットや防毒マスクの重要性をそれほど考えず、それらを着用するのがわずらわしかったからか、息苦しかったからか、理由は不明であるが、右保護具を着用せずに本件作業を行ったことが度々あったものと考えられる。また、原告は硝酸を薄める作業も行っていたのではないかと推認されるところ、日本語の理解が不十分なこともあって、硝酸を水で薄める意味を理解しておらず、六二パーセントの硝酸を五〇パーセント程度に水で薄めることを怠ったことがあるのではないかと考えられる。

その結果、本件作業に従事した約一年二か月の間、硝酸タンクを開閉する時及び湯洗いの時に、一日合計約四時間、硝酸の蒸気を吸入する可能性があったことが認められる。

(三) そして、原告は、本件作業に従事する以前は、硝酸を扱うことはなかったこと、本件作業に従事した約三か月後の平成五年一二月ころから、のど痛、咳などを訴え、平成七年四月ころ受診したひまわり診療所でも呼気の困難を訴え、肺活量の低下が認められたこと、右症状は硝酸を吸入した際の症状と概ね一致すること、同九年に鑑定した際、気管支拡張所見が認められたところ、硝酸には二酸化窒素が含まれ、平成八年七月一二日及び同月一九日の本件作業場の測定結果でも、二酸化窒素の暴露が認められており、二酸化窒素の慢性的暴露により右症状を説明できること、硝酸蒸気の吸入以外に、原告に右症状を発生される蓋然性の高い原因は特に認められないこと、本件作業に従事しなくなって以降、徐々に症状は軽快していることから、本件作業により肺機能が低下したものと認めるのが相当である。

(四) 視力については、来日前は右1.0、左1.2だったのが、平成六年三月二二日に右0.7、左1.0、同七年四月一四日に右0.4、左0.5、同年九月一四日、右0.6、左0.5、同九年三月ころ、右0.4、左0.5と低下していることが認められる。

この点被告は、原告が平成六年三月一三日に喧嘩により右眼眉の下付近の怪我をし、七針縫っているため、右喧嘩により視力が低下したものと主張するが、同月二二日は、怪我の約一〇日後であり、しかも治りかけていたことからすれば、右喧嘩の視力に対する影響はなかったものと考えられる。

そして、硝酸の蒸気により角膜炎や結膜炎を起こし、角膜が傷害されて視力が低下することも認められるところ、福岡病院の診察の際にも結膜炎は診断されているものの、眼精疲労との診断もあり、賛育会病院眼科及び鑑定における診察の際も、角膜の傷害等眼科的異常は認められていないこと、肺機能の低下の場合と異なり、他の視力低下の原因が否定されたわけではなく、その他本件作業との因果関係を認めるに足りる証拠としては十分とはいえず、視力の低下との因果関係は認められないと言わねばならない。

2  これに対し乙二八の意見書は、平成八年七月に本件作業場の硝酸の暴露濃度が許容濃度の半分以下という低濃度であり、硝酸タンク前より換気扇外真下の方が硝酸濃度が高いことから換気扇が有効に作動していること、原告の作業期間は約一年二か月であり、慢性暴露期間としては長いとはいえないこと、原告以外に本件作業に従事した者の中で、気管支拡張症を発生した人はいないこと、福岡病院への通院も平成六年六月までであり、その後も作業を続けているにもかかわらず通院していないこと、低濃度の硝酸の慢性暴露による気管支拡張症の発生に関する研究報告はない以上、本件作業と原告の疾病との間に因果関係はない旨述べる。

しかし、右測定時と原告の作業時とで、作業環境の変化は、平成七年二月に換気扇が取り替えられたこと以外にないとしても、測定の結果、許容量の半分以下ではあるものの、二酸化窒素の発生は認められたこと、右測定は、平成八年七月に二回なされたにすぎず、測定時刻も一日のうちの一回にすぎないこと、また、原告とその他本件作業に従事した人との間では、保護具の着用の有無について相異があり、全く同列には考えられないこと、原告の福岡病院への通院は平成六年六月までであることから、以降原告が解雇されるまで、症状は軽かったものと考えられるが、硝酸を少量長期間にわたり吸収し続けると、数か月になって初めて中毒症状が現われるということから、右状態を説明できないわけではないこと、鑑定書は、細気管支を中心とした気道障害と述べ、必ずしも気管支拡張症とは述べていないことから、右意見書の意見は採用できない。

五  安全配慮義務違反について

1  前記認定のとおり、被告は原告が本件作業に従事するに際し、保護設備は安全とはいえないものの、最低限度備えていたと認められる。しかし、硝酸は劇物で、安全衛生法等で安全及び衛生の教育義務が定められているにもかかわらず、被告代表者自身、原告の作業当時、硝酸についての右知識に欠け、その有毒性、危険性、いかなる疾病に罹患するか、右危険を防ぐためにどのようにすればよいかについて具体的に説明、指導することを怠り、単に危険であると話し、保護具を着用させたのみであることから、この点についての安全配慮義務違反が認められると言わねばならない。また、工業用の五〇パーセント硝酸が市販されているならば(甲二九の四)、右濃度では蒸気が上がらないのであるから、より安全である右濃度の硝酸を購入すべきであったと考えられる。

2  過失相殺

前記認定の原告が本件疾病に至る経緯等を考慮すれば、原告は、硝酸が有毒で危険であり、本件作業に際してシールド付きヘルメットや防毒マスク等を着用するよう指導を受け、右マスク及び吸収缶は本件作業所に設置され、度々右マスクを着用するように注意されていたにもかかわらず、これらを着用していなかったこと、原告が本件作業に従事した前後に、数人本件作業に従事しており、特に寺島は、原告が本件作業に従事する前約二年三か月間本件作業に従事し、しかも当初約七か月間は、硝酸タンクの数が少なかったとはいえ、換気扇が一個だったにもかかわらず健康に異常はなく、肺機能が低下したのは原告のみであるから、原告が右疾病に罹患したのは、右のような原告の過失に起因していることが大きいものというべきである。そして、これと前記被告の安全配慮義務違反の程度、内容を対比して検討すると、損害の公平な分担の見地から、その過失割合は、原告六、被告四と認めるのが相当である。

六  損害について

1  後遺障害

前記認定によれば、鑑定当時、原告は、強制肺活量、一秒量は低値で、胸部レントゲン検査、CT検査の結果、陰影が認められるが、肺活量及び一秒率は正常であること、階段昇降時に呼吸困難を伴うが、平地歩行や軽作業は可能であり、症状は徐々に軽快していることが認められる。そして、「胸腹部臓器の機能に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(労働者災害補償保険法施行規則別表第一の第七級の五参照)とは、胸部臓器の障害による身体的能力の低下などのため、独力では一般平均人の二分の一程度の労働能力しか残されていない場合がこれに該当するところ、右事実を総合考慮すれば、原告の労働能力は、一般平均人の二分の一程度しか残されていないとまではいえず、「胸腹部臓器の機能に障害を残し、服することのできる労務が相当程度に制限されるもの」(同表第九級の七の三)に該当するものと認めるのが相当である。そして、右障害は後遺障害別等級第九級の一一に該当し、労働能力喪失率は三五パーセントと認めるのが相当である。

2  逸失利益

(一) 甲一〇、乙二ないし五、証人平野敏夫、原告本人、「被告代表者滋野正の各尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三二年九月一八日生まれで、平成五年七月二六日に研修資格(六か月)で日本に入国し、同六年一月二八日に研修を六か月更新し、同年七月二五日には技能実習生として作業に従事するため、在留資格を特定活動に変更して滞在期間を一年更新し、同七年一〇月二三日に短期滞在で九〇日間更新、同年一一月七日に短期滞在で一五日間更新したが、研修期間は原則として一年(乙二、四項)であり、しかも原告は、平成六年一一月一七日には解雇されていること、同七年七月ころには原告の疾病は症状が固定したと判断されたことが認められ、右事実を総合すれば、逸失利益については、症状固定後中国で得られた収入である年一八万円を基礎に算定するのが相当である。

(二) そして、前記認定のとおり、右後遺症による労働能力喪失率は三五パーセントである他、症状固定時である平成七年七月ころ三七歳であり、その後六七歳に達するまで右年収を基礎として、ライプニッツ方式により中間利息を控除して計算すると、次のとおり一八九万円となる。

18万円×0.35×30=189万円

3  慰藉料

前記認定の原告の後遺症の内容及び程度、治療経過、原告の本国である中国における賃金や物価水準は、右原告の給与からしても明らかなように、日本におけるそれよりも格段に低いこと、その他本件審理に現われた一切の事情を考慮すれば、原告が右傷害を負い通院したこと及び後遺症を負ったという精神的苦痛に対する慰藉料は、合計二〇〇万円と認めるのが相当である。

4  損害合計

過失相殺後の原告の損害は、一五五万六〇〇〇円となる。

5  弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過等諸般の事情を考慮すれば、弁護士費用は一五万円が相当であると認められる、

七  以上により、原告の請求は、被告に対し、一七〇万円六〇〇〇円及びこれに対する平成七年八月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を認める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないので、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

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